欲望:あなたを苦しめる悪い霊

この世には、良い欲望と悪い欲望があります。


たとえば、小学生が「テストで90点を取ってお小遣いをもらいたい!」と思ったとします。この欲望を達成するために、その子は一生懸命勉強することでしょう。そして、小学校のテストで90点を取ることは、頑張り次第で可能なことです。じっさいに達成できれば、その子はお小遣いをもらえますし、学力も向上します。良いことづくめです。

別の例を考えてみましょう。働いている人が、「週末に美味しいものを食べたい!」と思ったとします。その人は、この欲望の実現を楽しみにして、平日の仕事を頑張ることでしょう。そうすると仕事がはかどり、週末の食事はよりいっそう、美味しく感じられます。

これら2つの例は、いずれも「良い欲望」です。


他方で、次のような場合はどうでしょうか。

残念ながら、生まれつき容姿に優れない女性がいるとします。その人が、「美人になりたい」と願ったとします。この欲望は、簡単には叶えられません。

場合によっては、美容整形を受ける必要があるかもしれません。しかし、現実として美容整形にも限界があり、元の顔つきによっては美人にはなれないかもしれません。

「美人になりたい」という欲望は、その人を苦しめることでしょう。じっさい、このような欲望が強まりすぎて、醜形恐怖や整形依存に陥ってしまう人も多くいます。美容整形の費用を稼ぐために、身体を売る人もいます。そしてますます不幸になってしまいます。

これは、「悪い欲望」の例です。


では、「良い欲望」と「悪い欲望」を分けるものは何でしょうか?


簡単にいうと、それは「自分の手に負えるかどうか」の違いだと言えます。

別の言葉に言い換えると、「自分にとって現実的に達成可能か」あるいは「自分にとってコントロール可能か」ということです。

そして、自分が頑張れば達成できる欲望は、「良い欲望」。

自分が頑張っても達成するのが難しい欲望は、「悪い欲望」です。


人は、それぞれ違った能力・違った素質をもって生まれます。

ある人にとっては簡単に達成できることでも、別の人にとっては努力しても難しいということがあります。

さきほど書いた、「美人になる」というのは、まさにその一つです。もともと美形な顔つきに生まれた人であれば、ちょっと化粧の仕方を工夫すれば、美人になれるでしょう。しかし、顔つきからして優れない人は、大がかりな美容整形手術を施さないと(あるいは施しても)難しいでしょう。


そして、ある人にとって現実的に達成するのが難しいことを欲望にすると、その人は大きな困難と苦労を感じることになります。

「悪い欲望」の正体はこれです。

人は、自分に向いてないこと・苦手なことを欲望にすると、その実現に向けて努力した分だけ、どんどん心が傷ついていきます。そしてその人は、間違いなく不幸になります。


ここで注意しなければならないのは、欲望とは霊のようなもので、自然と人に取り憑いてしまうということです。

それは、欲望が伝染するものだからです。あるいは、難しい言い方をすると、広告やマーケティングによって、欲望は再生産されるものだからです。


街を歩いていると、そこかしこに脱毛やエステの広告を見かけるでしょう。

その広告では、たいてい美人な女性やイケメンな男性が、にこやかに微笑んでいることでしょう。

あれは、「この店で脱毛すればこの女性のように美しくなれますよ」というメッセージを、見る人にすり込んでいるのです。そして、それは必然に、見る側に「ああいう美人になりたい」という欲望を抱かせることにつながります。


あるいは、恋愛というのもそうです。

流行りの曲の大半は、男女の恋愛にまつわる気持ちを歌い上げたものでしょう。冬になれば街にイルミネーションが灯り、街をカップル達がたくさん行き来します。そうした光景を目にしていると、どこか「恋人がいるのが当たり前」であって、「いない自分はおかしい」あるいは「自分も恋人が欲しい」と思うようになるでしょう。

しかし、現実的には、いつの時代も恋愛に向いた素質を持つ男女は、だいたい3割ほどしかいないと言われています。

そのほかに「恋愛に向いているわけでもないけれど、向いてないわけでもない」という「普通の人」が3割いると考えると、残りの4割は「恋愛に向いていない人」なのです。

その4割の人が、知らず知らずのうちに「恋人が欲しい」という欲望を抱いてしまうと、これもまた不幸につながります。「恋人が欲しいけど、現実には異性に相手にしてもらえない」という欲望と現実の落差が、常にその人を苦しめるからです。


わたしたちは、このように「欲望は霊のようなもの」だということを理解して、悪い霊に取り憑かれないように注意して生きなければなりません。


では、知らず知らずのうちに「悪い欲望」に取り憑かれてしまったときは、どうしたら良いでしょうか?


答えは簡単です。欲望を捨てることです。


しかし、そう言っても難しいでしょう。

欲望はしばしば、その人の自我と結びついて、心の中に深く根を張っているからです。いわば、欲望が自我と結びついて、その人の存在理由のようになっていることがあります。


そういうときは、あなたの自我も捨ててしまうことです。


「えっ自我を捨てる?大丈夫なの?」と思われた人もいるかもしれません。

しかし、大丈夫なのです。まったく問題ありません。


わたくしが以前の記事で書いたように、この世界はすべて「至大存在」と呼ばれるものの意思で動いています。

あなたは日々、自分の意思で行動しているように見えて、じっさいにはより大きな動きに流されているのです。そして、その大きな動きを作り出すのが、至大存在です。

あなたは結局、至大存在のなすがままに流されて生きているというわけです。

その大きな流れの中で、どういった自我をもって、どう行動するかは、ほんのささいなことです。個人のレベルでは、自我が意味あるもののように思えるかもしれませんが、じっさいにはそうではないというのが現実です。

言ってみれば、実は人は自動運転なのです。あなたがハンドルを握って、左に回したり右に回したりして車を動かしていると思っているのは幻想で、じっさいには車は自動的に左に曲がり、右に曲がって走っています。


自我を捨て、大きな流れに身をまかせて、ただぼーっとして生きてみることです。

その中で、新たに「これをやらなくちゃいけない」といった思いが湧いてくることがあるでしょう。そうしたら、それをやれば良いのです。

そのときには、悪い欲望に取り憑かれていた頃とは打って変わって、すがすがしい綺麗な心で取り組むことができるでしょう。


みなさまが悪い欲望から解き放たれ、すがすがしい気持ちで日々を生きられることを願っています。